ある文系の思議録

公共政策大学院→国家公務員3年目です。

本省と現場

お久しぶりです。

早いもので、国家公務員として働き始めてから2年と1か月が経過しました(下書きを書いていた当時)。2年目というとまだ若手な感じがしますが、3年目ともなると若手から中堅の間のように感じられ、純粋な若手とはいえないような気がします。気持ちとしては1年目と全く変化していないと思っているのですが、この前、新規採用職員に向けて自身の経験を話す機会があり、フレッシュな一年生を見て自分も年を取っていることを実感しました。

 

さて、私が所属している組織では、本省や現場を行ったりきたりしながら、キャリアを積んでいくという人事が行われているのですが、今回は、現場で働いてみて感じたことについて書いていこうと思います。

 

1 労働時間

 本省と現場を比較すると、圧倒的に現場の方が労働時間は短かったです。本省では残業が常態化していましたが、現場では残業をする日の方が少なかったです。そのため、ワークライフバランスがきちんととれた生活を送ることができ、1年目は全く自炊をしていなかった自分がお弁当を作ったりするようになりました。

 

2 人

 本省のような不親切さを感じることはなく、わからないことについて聞けば教えてくれる人が多数でした。むしろこちらから聞いていないことも教えてくれる人もおり非常に快適な職場環境でした。

 もっとも、本省では一人当たりの仕事量が膨大なものになるため、聞かれたことすべてに答えていては自分の仕事をする時間がなくなるため、他人からの頼み事を断らなければならない必要性が現場より強く、その結果として不親切に感じる人が多かったのだと思います。

 

3 仕事内容

 本省ではいわゆる調整業務が大半を占めていましたが、現場では調整業務はほとんどなく、原課要素の強い仕事をしていました。そのため、国民の皆様と直に接する機会も多く、非常に勉強になりました。出先機関の受付業務の担当だったときは、窓口には様々な人がいらっしゃるなかで、コミュニケーションを通じて自分の主張を理解してもらうにはどうしたらよいのかを常に考える日々でした。来庁者から発せられる一言二言から、手続きをどの程度熟知されているかを推測し、自分の言葉遣いやどこから説明をするのかを柔軟に変える必要があり大変ではありました。しかし、自分の伝えたいことがきちんと伝わったときは嬉しかったです。

 

4 雑感

4-1 国会議員

 現場では当然のことながら国会業務は全くなかったものの、まれに国会議員が絡んでいる案件が降ってくることがありました。やはり国会議員が関与している案件については慎重な対応や業務時間外の対応を求められることがあり、政官関係のバランスを感じました。

4-2 現場から見た本省

 言葉を選ばずに言うと、本省は現場からは嫌われているように感じました。私が出向で来ているということもあり、そこまで強いトーンで非難している場面には遭遇しませんでしたが、良いイメージでないのは間違いないと思います。ただこれは本部と現場という構造上、どの組織も似たようなものなのではないかと思っており、全体最適を考える上である組織に一定のしわ寄せがきたり、耳の痛いことも言わなければならないのでしょう。組織対組織のコミュニケーションとはいえ、結局、組織の中にいるのは人間です。指示を出している人の顔を指示を受ける側は思いながら業務を行うのであり、この人に言われたら仕方ないと思える人がいる一方で、こいつの言うことは(正しいことであっても)聞きたくないということもあると思いますので、結局は(よくわからない言葉ですが、)人間力が大事ということになるのでしょう。

4-3 現場の職員

 現場では、様々な人と関わる機会があったと上で書きましたが、それは来庁者の方だけでなく、一緒に働く職員も同様です。本省で働く職員と比べると、仕事への向き合い方には差があるように感じましたし、趣味に生きている人や子育て中の総合職の先輩など様々な人がいました。

 本省で仕事をしているとどうしてもやる気が(比較的)ある優秀な職員の方と一緒に仕事をすることがほとんどなので、見ている世界が狭くなりがちですが、現場に行かなければ自分がいる場所が限定された狭いコミュニティであるということにすら気が付かなかったと思います。

 

 まとめると、本省と現場では、労働環境や業務内容、人に様々な違いはあるもののどちらも、同じ省庁の職員であり、ときには対立しながらも、基本的には協力して業務を行っていることを肌で実感しました。

 月並みな感想ですが、現場の視点というものを忘れず持ち続けながら、今後、仕事をしていきたいと思います。

 

では

(自称)進学校の功罪と今年の目標について

お久しぶりです。

 

令和4年4月、初めての異動を経験し、今までとは違う業務の内容に戸惑いながらも、徐々に慣れつつある今日この頃です。

 

さて、異動に伴い、今まで学んできた業務の内容とは完全に異なる業務をすることになるため、勉強することがたくさんあります。昨年度の仕事内容と全く被るところがないので、新たな仕事に転職したような感じです。

前に記事でも書きましたが、私は、昨年度、大学院に通いながら仕事をしていたところ、大学院を無事卒業できたため、大学院の勉強(主に論文の執筆)をする時間を仕事のための勉強をする時間に充てることができるようになりました。

そのため、時間的にはかなり余裕ができるだろうと思っていましたが、そんなことはなく、毎日新しい仕事と格闘しているうちに、気づけばゴールデンウイークになってしまいました。

 

異動前は、英語の勉強や法律の勉強を深めようという野望を抱いていたのですが、その野望ははかなく散ってしまう予感がします。休みの日は寝て家事をするだけで終わってしまい、かといって平日に勉強をするわけでもないという日々が続いており、プラスアルファの勉強はおろか仕事の勉強すら満足にできていない状況です。

 

当然、そんなことではいけないので、どうにか頑張らないといけないなと思っているのですが頑張れません。

 

このご時世、周りを見渡すと、血反吐を吐くまで頑張れという言説を見ることはあまりなく、無理して体を壊すよりは休んだ方が良いというメッセージがそこかしこにあふれている気がします。

私は、高校生の時、(自称)進学校に通っており、強制的に勉強をしなければならない環境にいました。そのため、勉強は辛いものであるが、しなければならないという思想に囚われており、勉強をしないという選択肢はありませんでした。

しかし、社会人、いや大学生になってから、勉強をするかしないかはあくまで個々人の裁量に委ねられており勉強したい人だけがすればよいという、いわば当たり前の考えにたどり着いたように思います。

そうなると強制的に勉強をさせれてきた私のような人間は勉強を自発的に行うということはせず、とりあえず単位がとれれば良い、とりあえず仕事がこなせれば良いという思想になってしまいます。

 

そんなことではいけない、自分はどこかのタイミングで変わるはずだと思い続けて、もう6年も経ってしまいました。こんな調子では、充実感を得ることなく、残りの人生を送ってしまうことでしょう。

 

振り返ってみれば、勉強を強制的にさせられてきた高校時代は今より充実した毎日を過ごしていたように思います。大学合格という一つの目標に向けて朝から夜まで勉強する生活というのは、辛いながらも良い経験でした。そうであるならば、自己研鑽を強制される環境というのは素晴らしいもののようにも思えてしまいます。

しかし、きっと、自己研鑽を強制される環境と強制されない環境を二項対立で語ること自体が間違いで適度に組み合わせるべきなのでしょう。自分の家の中では勉強できないから、近くのカフェに行って勉強するみたいなことが理想な気がします。

 

勉強をする以上、どうしても辛い要素は発生してしまうと思います。辛いことを継続して行うためには、習慣化するほかないと思いますので、カフェに寄ってから出勤するということを今年の目標にしたいと思います。

 

それでは

約半年、仕事をしてみた感想について

以下は、ブログの下書きに保存されていた文章です。

せっかく書いていたのでアップロードします。

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お久しぶりです。

 

なかなかブログを更新できない日々が続いていましたが、現在3連休中ということもあり、少し時間ができたので、こうしてキーボードを叩いています。

 

これまで書いていませんでしたが、実は今年(2021年)の4月から某省で働き始めました。大学院を辞めたわけではなく、M2として在籍しながら仕事もしているという状況です。M1の時に卒業に必要な単位はほとんど取得しており、あとは論文を書くだけという状況ですので、基本的には授業に参加せず、論文の報告会のみ参加をしています。きちんと忙しいといった感じですが、今のところ何とか両立することができている(と信じたい)です。

 

さて、前置きがながくなりましたが、実際に社会人として半年働いてみた感想をつらつらと書きたいと思います。特に構成を考えずに思いつくまま書きますので、まとまりのない文章になるとは思いますがご容赦ください。

 

入省する前のイメージと入省後のギャップについて

・残業時間

 想像していたよりも残業は少なかったです。これに関しては部署による部分が大きく、現在の部署は比較的残業が少ない部署なのですが、報道等の影響で少なくとも月100時間くらいは残業があるものだと思っていたところ、現実は月50時間くらいでした。また、50時間の残業でも課のなかでは残業している方なので、平均はもっと少ないと思われます。

 

・職場の雰囲気

 色々な人がいるだろうなという想像どおり、いろいろな人がいました。もう少し穏やかな人が多いのかと思っていましたが、なかなか過激な人も多く、面白い日々を過ごしています。パワハラやセクハラ等は、指導との線引きが難しいため、完全にないと言い切れるか微妙なところですが、少なくとも私がパワハラを受けたと感じることは今までありませんでした。

 

仕事について

 どのような仕事をするのかイメージが全くできていないまま働き始めたので、初めの頃は分からないことだらけでした。自分の直属の上司は他省庁から出向してきた10年目の方なのですが、仕事の内容は私と同じであり、何から何まで他人に聞く日々を過ごしていました。

 4月初めに驚いたのは研修です。業務の処理に関する説明や、この部署はどういう仕事をする部署なのかということについて何らかの研修があるのかと思っていましたが、そんなことはなく、4月1日に自分の席に座った瞬間から実際の業務を行っていました。一応、研修という名の付くものはあるのですが、自分の業務に関するものではなく、省の仕事についての理解を深めるためのものであったり、同期との仲を深めるためのものであったりして、自分の通常業務を行うにあたって役に立つものではなかったので、家に帰ってから引継書やマニュアルを読んだりして勉強しました。

 他の人のブログかなにかで、ゴールデンウイークの頃から徐々に仕事に慣れてきたという文章を目にしたことがあったのですが、ゴールデンウイークを過ぎても仕事に慣れることは全くなく、わからないことだらけだったことを覚えています。

 ただ3か月目(7月)あたりからは流石に一度見たことがあるような仕事が多くなってきたため、自分だけで処理できる案件も増えてきたように思います。突発的な案件に対しても何を調べればよいかについて何となくあたりがつけられるようになってきたのもこの頃だと思います。

 私が配属されたのは、一年目にありがちな総務課ではなく、原課でしたので、メールが一日に100件も200件もくるようなことはありませんでした。

 

こんなところですかね。ともかく論文を書き上げ、大学院を卒業できるよう頑張りたいと思います。

 

それでは

 

 

文章を書きたい欲

無性に文章を書きたい時ってありませんか?

友人に尋ねたら、「ない」と即答されましたが、私はあります。

 

眠れない夜のことが多いですが、明け方にそういう気持ちになってることも何度かありました。

 

ここで、ふと思ったのですが、文章を書きたいわけではなく、キーボードを打ちたいだけなのかもしれません。私が文章を書くときというのは決まってパソコンのディスプレイと向かい合っており、原稿用紙に書きたいと思ったことは皆無です。高校生のとき、小説を書こうと意気込んで原稿用紙を大量に買ったものの、4枚くらい書いたところで飽きました。

 

キーボードを打ちたい理由は、ブラインドタッチに憧れていたからだと思います。なぜ憧れはじめたのか正確には思い出せませんが、おそらくコンビニで目にもとまらぬ速さでレジを打つ店員さんを見て、子供ながらにカッケエと思ったことがきっかけのような気がします。かっこいいと思ったのは相当昔だったと思いますが、大学生になってバイトをしようと思った時に近所のコンビニが第一候補に挙がったのできっと無意識のうちに憧れは継続していたのでしょう。(結局そのコンビニは募集してなかったので働きませんでしたが)

 

考えてみれば何かを早く(速く)することへの憧れは人類共通だと思います。陸上競技で速く走る人や、自分よりも早く仕事が終わる人には誰しも憧れるでしょう。私にとってはそれらの憧れのうち一つがレジを早く打つことだったわけです。その憧れが少しだけ解消されたのは大学3年生のゴールデンウイークにブラインドタッチの練習をし、それなりに打てるようになったときかもしれません。

 

ブラインドタッチができるようになって、それはそれで楽しかったのですが、実際に自分の考えを文章としてまとめてみたくなってきました。その頃は絶賛大学生だったので、少し哲学的なことを考えている自分に酔うみたいなところが今よりもだいぶ強かったです。以下、ブラインドタッチができるようになった直後に書いた文章を引用します。

 

「文章を書くということは自分が頭で考えていることを形にすることです。考えている時は色々な要素が飛び交い、支離滅裂、混沌としている脳内を綺麗に整頓する行為が文章を書くことなのでしょう。考えていることのほとんどは削られ、削られなかったほんの少しの思考が言葉として出てくる。

 その点、絵画などの芸術は自分のイメージを削ることなく表現できるツールとして非常に有用に見えます。画家の人も自分のイメージを削っていないとまでは言いませんが、削られる割合は言葉にするよりも大きいような気がします。」

 

今見るととても気持ち悪いですね…

特にその点~の部分が自分でもよくわかりません。おそらく絵を描くことは自分の心象をそのまま表現できる手段だと思っていたのでしょうが、普通に違うような気がします。

 

ブログをはじめようと思ったきっかけは、自己紹介の記事(https://takenokoyaketa.hatenablog.com/entry/2020/01/01/181950)に一通り書きましたが、あれはすべて綺麗事で本当の理由は彼女に振られて暇だったからです。

 

 

では 

優先順位の付け方

こんにちは

 

 

今回は危機にどう対処するかについて考えていきたいと思います。というのも今回のコロナ騒動で、様々な問題が浮上してきていると思いますが、これらの問題は、コロナだから間に見える形として認識されているわけで、コロナ前から潜在的な課題であったものがほとんどだと思うからです。

 

例えば、私が現在所属している大学ではオンラインの授業を行っていますが、オンライン授業を受ける環境が整っていない生徒に対してどう支援をするのかということが問題になっていました。一見、コロナ以後の問題であるように思えますが、コロナ以前から大学では一部の授業で完全オンラインの授業が行われていました。十分なインターネット環境が整っていない生徒はその時にも当然いたわけで、その人たちに対しての支援はしなくても良いものだったのでしょうか。

 

このことから、問題が問題として認識されるのはある程度の規模が必要だということが言えると思います。

たしかに規模の小さい問題にリソースを振り分けるよりは、規模の大きな問題に重点的に取り組む方が効率は良いでしょう。

しかし、今回の騒動のように小さな問題だと思って放置していたものが、実は重大な問題になりうる場合もあります。

 

そこで、大切になってくることは時間軸です。いま、現在の視点だけで考えていては、今回のような問題をまた繰り返すこととなるでしょう。しかし、長期的な視点で考えることができれば、一見重大そうな問題に見えるがそうではない問題に気付くことができる可能性は高まっていくでしょう。

 

桜を見る会の追及をいつまでも続けていたことが問題となっていました。たしかに国民の税金の使い道という観点では大切な問題であると思いますが、この問題をいくら追求したとしても行きつく先は総理の辞職くらいです。そこにリソースを振り分けるのはあまり賢いやり方とは言えないのではないでしょうか。

 

主題とは少しずれますが、危機に瀕するときの考え方というよりは、危機を事前に回避することが最も大切です。それでも、未来を完全に予測することなんてできませんから、いざ、危機に直面した時には、どのような順番で物事を処理するかという優先順位をつけておくのは大切だと思います。

 

平時に問題の目を摘み取っておくことが何よりも大切なのでしょう。

 

 

ちなみにこの文章は深夜3時にアイスを食べながら書きました。

 

それでは

 

 

やる気を出そうとすると出なくなる現象

こんにちは、かわもとです。

 

今回はやる気、モチベーションについて書いていきたいと思います。(どうでもいいですが、やる気っていうよりモチベーションって言った方がかっこいいですよね)

 

タイトルの件ですが、やる気を出そうとすると出なくなるという経験は誰しもあるのではないでしょうか。

私は毎日、今日やるべきことを一覧の表としてまとめており、その表に沿って一日を過ごしているわけですが、その表に「済」の文字を入力していくなかで、比較的早く終わるものと、なかなか終わらないものがあることに気が付きました。

 

比較的早く終わるものとしては、「やることリスト作成」「家計簿記入」「読書」などがあり、なかなか終わらないものは「研究計画書進める」や「TOEFLの勉強」などが挙げられます。

一時期は、タスクとして挙げている項目の抽象度が問題なのではないかと思い、「英語の勉強」から「文法問題集 p.1~p.20 」のようにできるだけ細かく設定してみたこともあったのですが、具体化されたからといってやる気が出てくるわけではなかったです。

そこで今までやる気があった状態を分析しその条件下に自分を置けば、常にやる気がある状態になるのではないかと思いました。

 

一通り、今までのやる気のあった状況を思い出し、要素を抜き出した所、以下の4パターンに分類できることがわかりました。

 

①興味、関心がある (プラモデルや野球観戦)

②締め切りに追われている (レポート提出日に書くレポート)

③他人から頼まれている (塾の生徒の質問回答)

④あと少しで達成できそうである (クリア目前のRPG)

 

こうして挙げてみると、外部的な要因がほとんどですね。一見内部かと思われる興味・関心についても、自分の中を掘って興味の対象が見つかる確率は、極めて低いです(その分見つけた時の快感はすさまじいですが)。基本的には外部のものに対して自分がどう反応するかというところで興味の有無を見極めていく場合がほとんどだと思います。

あと少しで達成できるという④についても、あと少しで達成できるところまで至るためのやる気が欲しいのであって、応用可能性に乏しいです。

 

考えてみれば、やる気が出ていないからやる気を出そうとするのであって、やる気が出ている状態でやる気を出そうとするのは無理なのかもしれません。

計画的にやることを決めて義務的にそれをこなしていくのではなくて、掃除をしていて目に留まった本に熱中してしまう時のような偶然を待つよりほかはないのかもしれませんね。

 

では

 

 

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余談ですが上に挙げた①~④について

コンサルタントの人やコンサル志望者であれば、MECEな分け方をするのでしょうが、上手くできなかったので、頭のいい人がいれば教えてください。

具体の羅列からMECEにもっていくのか、MECE的な切り口をまず考えてから具体を挙げていくのかどちらなんでしょうね。

 

 

 

野菜たっぷりタンメン(大盛)がめちゃめちゃ幸せだった話

美味しかった。否、美味しくはなかったのかもしれない。

美味しいという言葉でひとくくりにしてしまうにはあまりにも超越的な存在であったからである。

 

 

野菜たっぷりタンメン

 

言わずと知れた日高屋の1メニューである。

 

事の始まりは、数時間前の立ち眩みである。 

一人暮らしを始めたは良いものの、食費がどうしてもかかりすぎてしまうという現実に直面した。

そこで、出来る限り食費を節約するために、取った行動が以下の3つである。

①野菜ジュースを買い、朝は1杯飲む

②1時間かけて業務用スーパーに行き98円で5玉入りのうどんを大量に買い昼ごはんにする

③近くのスーパーに深夜行き、半額になった弁当を食べる

 

朝,野菜ジュース 昼,うどん(19.6円) 夜,弁当(300円)+インスタント味噌汁

 

このような食生活を6日続けた時に、立ち眩みをし、ふと思った。野菜が足りていないのではないかと。申し訳程度に野菜ジュースを飲んでいるものの、パッケージをよく見ると、果汁が半分くらいを占めていた。野菜不足は改善しなければならない問題であると感じた。

 

そこで、野菜を取ろうと思った。自炊する気力や、設備はない。かといって出来合いのサラダなどを買ってしまっては高くつく。手軽な値段で、出来れば炭水化物も摂取でき、かつ家の近くにお店がある------一見すると叶うはずのない理想の条件に見える。オタクがアイドルに恋をしているのと状況的には似ているのかもしれない。そもそも、考えてみれば今までの人生で野菜が多く含まれる食材を外食時に食べたことはあまりない…もう野菜は摂取できないのか…めまいに苦しみながら生きていくしかないのか…そんな絶望の淵に沈んでいた時、一筋の光が、目の前に差し込んできた。

 

日高屋

 

そうだ、日高屋だ。日高屋なら徒歩10分くらいで行ける上に野菜たっぷりタンメンという見るからに野菜が多そうなメニューがあるではないか。

数少ない候補から、野菜たっぷりタンメンが選ばれたのである。

 


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胃袋に染みるなんてものではなく、この時間が永遠に続けばよいのにと思ってしまった。

 

食後、日高屋を出て近くにあるスーパーに向かった。近頃は毎晩、300円以下の弁当を買っていたため、入店すると同時に足が弁当コーナーに向かいそうになった。しかし、そこで思い出したのである。もうお腹は満たされているーーと。

 

満腹ではあったものの、まあ少しは見てやるかと思い、弁当売り場に足を運んだ。

心なしか、昨晩食べた味噌チキンかつ弁当(287円)が野菜たっぷりタンメンに圧倒的敗北を喫し、泣いているような気がした。

弁当コーナーに並ぶあまたの300円弁当を、スカイツリーよりも高くから見下ろしたような気分で一瞥し、颯爽と弁当コーナーを通り過ぎた。

 

目当ての牛乳を購入し、スーパーから家までの帰り道も考えることはお腹の重さと、それを与えてくれた野菜たっぷりタンメンのことであった。感謝しかない。

 

もし、野菜たっぷりタンメン教なる宗教があったならば、間違いなく入信しているだろう。

 

 

野菜たっぷりタンメンに栄光あれ