ある文系の思議録

公共政策大学院→国家公務員3年目です。

文章を書きたい欲

無性に文章を書きたい時ってありませんか?

友人に尋ねたら、「ない」と即答されましたが、私はあります。

 

眠れない夜のことが多いですが、明け方にそういう気持ちになってることも何度かありました。

 

ここで、ふと思ったのですが、文章を書きたいわけではなく、キーボードを打ちたいだけなのかもしれません。私が文章を書くときというのは決まってパソコンのディスプレイと向かい合っており、原稿用紙に書きたいと思ったことは皆無です。高校生のとき、小説を書こうと意気込んで原稿用紙を大量に買ったものの、4枚くらい書いたところで飽きました。

 

キーボードを打ちたい理由は、ブラインドタッチに憧れていたからだと思います。なぜ憧れはじめたのか正確には思い出せませんが、おそらくコンビニで目にもとまらぬ速さでレジを打つ店員さんを見て、子供ながらにカッケエと思ったことがきっかけのような気がします。かっこいいと思ったのは相当昔だったと思いますが、大学生になってバイトをしようと思った時に近所のコンビニが第一候補に挙がったのできっと無意識のうちに憧れは継続していたのでしょう。(結局そのコンビニは募集してなかったので働きませんでしたが)

 

考えてみれば何かを早く(速く)することへの憧れは人類共通だと思います。陸上競技で速く走る人や、自分よりも早く仕事が終わる人には誰しも憧れるでしょう。私にとってはそれらの憧れのうち一つがレジを早く打つことだったわけです。その憧れが少しだけ解消されたのは大学3年生のゴールデンウイークにブラインドタッチの練習をし、それなりに打てるようになったときかもしれません。

 

ブラインドタッチができるようになって、それはそれで楽しかったのですが、実際に自分の考えを文章としてまとめてみたくなってきました。その頃は絶賛大学生だったので、少し哲学的なことを考えている自分に酔うみたいなところが今よりもだいぶ強かったです。以下、ブラインドタッチができるようになった直後に書いた文章を引用します。

 

「文章を書くということは自分が頭で考えていることを形にすることです。考えている時は色々な要素が飛び交い、支離滅裂、混沌としている脳内を綺麗に整頓する行為が文章を書くことなのでしょう。考えていることのほとんどは削られ、削られなかったほんの少しの思考が言葉として出てくる。

 その点、絵画などの芸術は自分のイメージを削ることなく表現できるツールとして非常に有用に見えます。画家の人も自分のイメージを削っていないとまでは言いませんが、削られる割合は言葉にするよりも大きいような気がします。」

 

今見るととても気持ち悪いですね…

特にその点~の部分が自分でもよくわかりません。おそらく絵を描くことは自分の心象をそのまま表現できる手段だと思っていたのでしょうが、普通に違うような気がします。

 

ブログをはじめようと思ったきっかけは、自己紹介の記事(https://takenokoyaketa.hatenablog.com/entry/2020/01/01/181950)に一通り書きましたが、あれはすべて綺麗事で本当の理由は彼女に振られて暇だったからです。

 

 

では