ある文系の思議録

公共政策大学院→国家公務員3年目です。

やむを得ない?カルロス・ゴーン氏の逃亡出国

昨年の年末、カルロス・ゴーン氏が国外に逃亡したというニュースを目にしました。(もう昨年なんですね) 保釈中とはいえ、裁判の決着がついていないうちに、国外に逃亡するということができるのかと素直に驚きました。

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-01-02/Q3H7TQDWRGH901

(2020/1/3閲覧)

 

この件について論点は色々あると思いますが、今回は司法への信頼という点からブログを書きたいと思います。(今回の問題の根本は出国審査や保安検査の緩さだと思いますが、なにも書けないので強引にテーマを決めました笑)

 

そもそも本当に無実ならばそれを日本の裁判において主張、立証するべきではないかとまず思いましたが、これは正論であっても理想論です。実際の裁判では費用も時間も費やして、ようやくそこで判断が下されます。しかもその判断も永久不変のものではありません。裁判というものは結局、裁判官の判断によって正しいか否かが決まるわけで、一審と控訴審で判断が変わることはそれほど珍しい事ではありません。このような状況においては妥当な判断を期待するより、いっそ国外に逃げてしまおうという気持ちもわからないわけではありません。

 

誤解のないように書いておくと、私は日本の司法を全く信頼していないわけではありません。たしかに、大学に入って法学をかじるまでは、法律の要件などは屁理屈で捻じ曲げることができるのではないかと思っていました。例えば、映画館で「違法と知りながらダウンロードした場合」という要件は、頭の中をのぞかないとわからず裁判で知らないといえば知らないことになるのだと思っていました。(おそらくこのイメージは弁護士ドラマ等によって作られたものだと思います笑)

しかし、曲がりなりにも大学で4年間学ぶにつれ、裁判における要件の判断では映画館のチケットがあれば知っていたと推測できるだろうと考えられるようになりました。

 

日本の裁判は基本的に妥当な判断を下していると思います。学部で学んだ判例の中で裁判所の判決が明らかに不当だと思ったのは1つの事件しかありません。

 

ただ、問題が全くないかというとそういうわけではなく、取り調べの可視化義務付けが全体の2,3%しかないことや冤罪など様々な問題があると思います。https://www.nippon.com/ja/series/c054/  (2020/1/3閲覧)

 

このような現状を踏まえると、日本は安全な法治国家であり日本の裁判は公正な判断を常に下していると信頼しきるのも問題だと思います。

完全に信頼できるシステムの構築なんてものは、それこそ理想論だと思いますが、国民に信頼されるような制度の構築に向けての取組みは継続してもらいたいなと思います。

 

 

眼鏡屋の店員との会話するが苦手で、結局ネット注文したリビングにて