ある文系の思議録

公共政策大学院→国家公務員3年目です。

朝6時半に起床するということについて

 「一年の計は元旦にあり」この言葉を最初に聞いたのは小学生の頃でした。

 

当時からひねくれていた私は、元旦も今日と変わらないただの1日ではないかと思った記憶があります。元旦だけ特別扱いしてずるいとでも思ったのでしょうね。反対に元旦の立場で考えると、1年の責任を押し付けられるのは重すぎてかわいそうです。

また、1年の計画や方針を元旦に決めるなら、昨年のうちに決めておくべきで、新年が始まってから決めるのは、ピッチャーが振りかぶってからどの球を狙うか決めるようなものだと思っていました。これに関しては元旦はほとんどの業種が休みであり、年は変わったが時間的には余裕があり実質的な新年は元旦より後に来る事、年末は大掃除やお礼参りなどで忙しい事が理由なのだと納得しています。

今でも疑問なのはそもそも年が1つ進むことの何がめでたいのかという問題です。新年を死なずに迎えられたからめでたいのでしょうか。

 

このように日本古来からの風習や伝統に対しては疑問を抱きがちな私ですが、1月1日は初詣に行きました。長蛇の列に並んでいる間、今年の目標をぼんやりと考えてみたので、目標を書きたいと思います。

 

 

 

朝6時半に起きる

 

これにつきます。大学生である以上、授業の有無で起床時間が変わってしまうのは仕方のない事だとこれまで思ってきました。バイト先のパートのおばちゃんに聞いても、「うちの娘も起きる時間バラバラ」と言われなんとなく安心していました。事実、ほとんどの大学生は起床時間が一定ではないと思います。

 

しかし、本当にそれでよいのでしょうか。10時半くらいに起き、朝食か昼食かわからないお茶漬けを食べ、バイトがあればバイトに行き、そうでないならゴロゴロする。このような怠惰な生活を送っていては魂が腐っていくような感じがします。実際、昨夜3時くらいまで漫画を読み、朝の11時に起きた今日の私は、もう13時だというのに何となく頭がぼーっとする感じが拭えません。今日はバイトがあるのでまだましですが、バイトがなかったら確実に二度寝をしていたことでしょう。

 

先輩方にこの話をすると、「社会人になったら生活は劇的に改善する。朝起きられなかった無数の大学生たちが遅刻もせず週5回定時前に出勤できるようになる」と言われます。しかし私は大学院に進学する身であり、一般的な大卒社会人よりも2年長く起床時間の不安定な環境に身を置くことになります。通常4年のところ6年も不安定な起床時間の中に漬け込まれるわけです。6年というと小学校入学から卒業までと同じです。小学校1年生から6年生まで乱れていた起床時間が、中学生になった途端に改善するとはどうしても思えないのです。

 

仮にこのままの生活を継続していき、将来社会人になったとして、上記のような突然変異が起こらなかった場合、悲惨なことになるでしょう。会社には毎日遅刻し、昼になっても頭は働かず、生産性も上がらないためクビになるのは自明の理であると思われます。ですので、学生であるうちになんとしても起床時間を一定に保つ習慣をつける必要があります。

 

2020年1月11日、元旦ではありませんが、薄目で見れば元旦にも見えるこの日に、私は決意します。

 

ここまで書いて、自分のスマホのアラームを6時半に設定しようとしたところ、既に6時半に設定されていました。驚愕の事実です。しかもアラームで起きた記憶がここ数週間ないので、無意識のうちにアラームをとめていたということになります。恐るべし無意識の力。